
手島 由紀子
TESHIMA YUKIKO
このページをご覧いただき、ありがとうございます。
私は群馬県に拠点を置く
医療用ステンレスチューブメーカーの経営者でございます。
一言に「ステンレスチューブ」といっても、イメージしにくいと思います。
弊社の製品は、皆さんが病院で打つ、医療用注射針の部分になるステンレスチューブを製造しています。
私は、日本で短大を卒業後、東京で3年間の貿易会社での社会人経験を積み、1996年に語学留学のために渡米しました。その後、ビジネスの基礎を学ぶために大学に編入し、2002年には父の会社へ入社しました。
父が経営していた昭和のピークである高度経済成長期には、弊社のみならず、多くの日本の会社の業績が安定していました。 しかしそれは、作れば売れるという時代背景があった為、経営が成り立っていたと考えられています。
しかし、昭和から平成、更には、令和にかけては、国内需要の縮小とグローバル化が進み、従来のアナログの業務システムや時代錯誤の職場環境を改善しなければグローバル社会から取り残され、グローバルビジネスが展開できなくなる、というリスクが発生してしまいます。
私は、アメリカ在住中見た、グローバル企業の展開スピードに衝撃を受け、「このままでは社会が衰退し、日本も取り残されてしまう」という強い危機感を抱きました。
2014年から社長を受け継いでからは、私は家族や親戚とともに守り育ててきたこの会社を更なる発展させたいと考え、これまで進めてきた改革を強化しました。
しかし、若くてアメリカ帰り、しかも製造技術の知識が不足しているという理由から、大半がついていけないと退職者が増え、人材不足とともに、生産が追いつかなくなるなど深刻な問題となりました。
そんな時、「改革によって生まれ変わった未来の会社を築く良い機会だ」と捉え、新規人材の採用、職場環境の改善、製造プロセスの明文化、顧客開拓などの改革に着手しました。やるべきことをやれば自ずと結果はついてくると確信がありました。
その結果、平均年齢が若返り、新人社員でも基本を学ぶことができ、社内のモチベーションが向上しました。なんと、海外販売比率も3%から20%へと向上し、改革の成果が数字として現れました。
私は、国内外で得た経験から、「グローバルな視点で物事を見るスキル」を身に着けました。
このページをきっかけに、同じような状況にいる次世代の経営者にとって、少しでも会社を変革するヒントとなり、喜びをもたらすきっかけとなれば幸いです。
そのためにも、私は今日も
「やるべきことを当たり前にやります」。
経歴
1972年生まれ。群馬県出身。短大を卒業後貿易会社に勤務。1996年に渡米し、語学と経営学を学び、一時帰国ののち再び渡米する。2009年にMBA(経営学修士)取得。帰国後の、2014年手島精管株式会社、代表取締役社長に就任。
1972年
1996年
2002年
2009年
2014年
2016年
2017年
群馬県に生まれる
渡米
米国 undergraduate(Business Major) 卒業
MBA(経営学修士)取得。
手島精管株式会社、代表取締役社長に就任。
「はばたく中小企業・小規模事業者 300社」受賞
地域未来牽引企業に選定される。